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広島地方裁判所 平成6年(わ)24号 判決

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入する。

この裁判の確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。

押収してある払戻請求書二通(平成六年押第八三号の1、2)の各偽造部分を没収する。

本件公訴事実中、強盗殺人の点については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は

第一  平成五年一二月二〇日午後一時四六分ころ、広島市南区皆実町五丁目一三番一二号株式会社広島銀行皆実町支店において、行使の目的をもって、ほしいままに、同店備付けの払戻請求書用紙一枚の金額欄に「35000」、氏名欄に「A」と各記載し、その名下に「A」と刻した印鑑を押し、もって、A作成名義の金額三万五〇〇〇円の払戻請求書一通(平成六年押第八三号の2)を偽造した上、即時同所において、同店窓口係員B子に対し、偽造した右払戻請求書を真正に成立したもののように装い、同銀行発行のA名義の普通預金通帳一通とともに提出行使して預金の払戻しを求め、同係員をしてその旨誤信させ、直ちにその場で同係員から預金払戻名下に現金三万五〇〇〇円の交付を受けてこれを騙取した。

第二  同月二七日午前九時一二分ころ、同区松原町九番三五号株式会社広島銀行広島駅前支店において、行使の目的をもって、ほしいままに、同店備付けの払戻請求書用紙一枚の金額欄に「321000」、氏名欄に「A」と各記載し、その名下に「A」と刻した印鑑を押し、もって、A作成名義の金額三二万一〇〇〇円の払戻請求書一通(平成六年押第八三号の1)を偽造した上、即時同所において、同店窓口係員C子に対し、偽造した右払戻請求書を真正に成立したもののように装い、右預金通帳とともに提出行使して預金の払戻しを求め、同係員をしてその旨誤信させ、直ちにその場で同係員から預金払戻名下に現金三二万一〇〇〇円の交付を受けてこれを騙取した。

ものである。

(証拠の標目)《略》

(法令の適用)

被告人の判示第一、第二の各所為のうち、いずれも有印私文書偽造の点は平成七年法律第九一号附則二条一項本文により同法律による改正前の刑法一五九条一項に、偽造有印私文書行使の点は同法一六一条一項、一五九条一項に、詐欺の点は同法二四六条一項に、それぞれ該当するところ、判時第一、第二の各有印私文書偽造とその行使と詐欺との間には順次手段結果の関係があるので、同法五四条一項後段、一〇条により結局以上を各一罪としてそれぞれ最も重い詐欺罪の刑(ただし、短期はそれぞれ偽造有印私文書行使罪の刑のそれによる。)で処断することとし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第二の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役二年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入することとし、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、押収してある払戻請求書二通(平成六年押第八三号の1、2)の各偽造部分は、それぞれ判示各偽造有印私文書行使(同押号の1につき判示第二、同押号の2につき判示第一)の犯罪行為を組成したもので、何人の所有をも許さないものであるから、同法一九条一項一号、二項本文を適用してこれを没収することとする。(なお本件における訴訟費用はいずれも有罪部分にかかる訴訟費用ではなく、かつ被告人の責に帰すべき事由によって生じた費用ではないから、被告人に負担させない。)

(強盗殺人被告事件について無罪とした理由)

第一  右事件公訴事実の要旨

右事件の公訴事件の要旨は、

「被告人は、遊興費等に窮したことから、広島市南区《番地略》甲田ビル三〇二号室の自宅で同居するA(当時四一年)を殺害して同人の預金通帳及びその銀行届出印鑑を強取しようと企て、平成五年一二月二〇日午前二時三〇分過ぎころ、飲酒酩酊して帰宅した右Aに対し、同区宇品海岸一丁目一三番広島港桟橋一号に係留された同人の勤務先会社のカーフェリー船内で更に飲酒しようと申し向け、同日午前三時ころ、同人を右自宅から右桟橋まで誘い出した上、同所において、同桟橋に係留中のカーフェリー四万十川丸に乗り込もうとする同人の背中をその背後から両手で押して同人を右桟橋下の海中に突き落とし、よって、そのころ同海中において、同人を溺死させて殺害し、次いで、同日午後一時ころ、右自宅において、同人のセカンドバックから、同人が所有する広島銀行発行の同人名義の普通預金通帳一通及び「A」と刻したその銀行届出印鑑一個(時価約三〇〇円相当)を抜き取り強取した」というものである。

第二  序説

(以下の説明では、検察官請求の証拠は、証拠等関係カード記載の請求番号を「検 号」、弁護人請求の証拠は同様に「弁 号」と表す。また、司法警察員あるいは司法巡査に対する供述調書を警察官調書と、検察官に対する供述調書を検察官調書と、公判調書中の供述部分及び当公判廷における供述をいずれも公判供述と略称する。)

一  関係各証拠からすれば、まず、以下の事実関係が認められる。

1 死体の発見状況、身元確認等

(一) 平成六年一月四日午前八時二〇分ころ、Dが広島市南区宇品海岸三丁目(通称一万トンバース)沖に、男性の死体が浮いているのを発見し、同日午前八時四〇分ころ広島南警察署に電話で通報した。右通報に基づき同署と広島海上保安本部が合同で海上を捜索し、右同所二番内外運輸株式会社広島本社外貿埠頭保税上屋沖約五〇メートルの海上に仰向けで浮遊している右死体を引き揚げた(Dの第二六回公判供述、検一号捜査状況報告書)。

(二) 右死体は、灰色ジャンバー、紺色長袖シャツ、白色肌着、紺色ズボン、青色パンツ、水色靴下、黒色革短靴を着用しており、全体的に破れ痛み等の乱れはなかった。そして、右死体は指紋等からA(昭和二六年一二月二二日生、以下、「A」という。)と確認された(検一号捜査状況報告書、検五号写真撮影報告書)。

2 死体の状況、死因等

小嶋亨作成の鑑定書(検七号)及び同人の第一一回公判供述によれば、同人が平成六年一月四日Aの死体を検案した結果、次の所見を得たことが認められる。

(一) 腐敗が始まっており、死硬直は顎・趾で弱く、首・肩・肘・手指・股では解け、手首・膝では強いが途中まで解けており、足首では強い。死斑は全身に認められない。

二(1) 左耳介の前面から左耳下付根の後方下部には、手挙大範囲に拇指頭面大以下の赤褐色変色がある。

(2) 左上眼瞼及び眼球結膜には暗赤色の変色がある。

(3) 右上前腸骨棘部には拇指頭面大の赤紫色斑がある。

(4) 腰背左上部には、手掌大の範囲に拇指頭面大以下の青色ないし青紫色変色がある。

(5) 左上腕外側肘関節近くには小指頭面大の赤紫色斑がある。

(6) 右上腕外側肘関節近くに鶏卵大の、右前腕の手背側中央付近に鶏卵大と拇指頭面大の赤紫色斑がある。

(7) 左下腿の前面上部には拇指頭面大の、左下腿の内側中央部には小指頭面大以下の赤紫色斑がある。

(三)右(二)の各皮下出血の内、(3)ないし(7)は生存中の、死亡一週間前までに生じたものと推定される。検一〇〇号の現場実況見分調書添付図面を前提として、仮に後記の広島港県営第一桟橋(以下、「第一桟橋」という。)東側のコンクリート台からの落下時における創傷を考えた場合、生じる可能性があるのは右(7)の損傷くらいである。その他については単に海面に落ちただけでできるものではないが、船や岸壁等に接触したものとも考えにくく、飲酒して転んだ際にできた可能性もある。

(四) 各一・〇グラム中のエタノール濃度は、血液で二・一八ミリグラム、尿で三・八八ミリグラム、胃内容で二・三八ミリグラムである。これは死亡時の飲酒に由来しているアルコール度を示しており、中等度の酩酊に該当する。

(五) 死因については、海中で発見されたこと、左右肺の重量は増しており、左右の胸腔には血性希薄液が多いこと、左右肺の各葉から珪藻が検出されたことにより、溺死と認められる。外因死と認められるが、詳細は不明である。死亡時期については、時期が一月上旬であること、腐敗がかなり進行していること、一部の関節に死硬直が強く残っていること、直腸温から水温は摂氏一二度前後と推定されること、屍蝋化は認められないことから、平成六年一月四日を基準として死後一ないし二週間と推定される。

3 Aの身上関係等及び平成五年一二月一九日の行動等

(一) Aは乙山株式会社に勤務し、同社所属の広島松山航路フェリー石手川(以下、「石手川丸」という。)に甲板長として乗務していた。平成五年一二月一九日から休暇であったが、勤務予定の同月二三日に出勤せず、同月二七日に至って、Aの上司であるEが広島南警察署に家出人捜索願いを出した(証人Eの第二回公判供述、検三〇号中岡尚の警察官調書、検一号捜査状況報告書)。

(二) Aは、平成五年一一月中旬以降、広島県廿日市市の自宅を出て妻と別居し、勤務日は勤務する船に、非番日は広島市南区《番地略》甲田ビル三〇二号室の被告人方に宿泊していた(検一七号捜査状況報告書)。

(三) 平成五年一二月一九日昼間、Aは離婚(なお、同人は当日、離婚届が提出されていたことを知った。)した妻及び親族と会い、自分の借金の処理方を決め、元妻に、翌日電話をすると言って別れた。同日午後七時三〇分ころから同九時過ぎころにかけて、Aから広島市南区宇品神田三丁目内所在の「東来軒」にいるF宛に数回に亘り、Gを加えた三人で酒を飲もうとの電話があり、Fが午後九時過ぎころ、Gが午後一〇時過ぎころにそれぞれAが待っている同区宇品神田一丁目八番一六号所在の「養老乃滝」に行き、その後午後一一時ころまで同店において三人で酒を飲んだ。同店を出た後、右三人で同区宇品神田五丁目七番二七号所在の「お好み焼き 佐知子」に行き、Gの妻H子を加えた四人で翌二〇日午前零時ころまで飲食をした。その後同所《番地略》所在のG宅に行き、午前二時ころにAとFはG方を出た。そしてAとFは同区宇品御幸四丁目一番宇品第二公園付近で別れた。同場所は被告人方から約一キロメートル、徒歩で約一三ないし一五分の距離である。

当時、Aはかなり酔った状態で千鳥足であった。そのためFはAに送ろうかと申し出たが、同人はこれを断った。なお、FはAに被告人方に泊まるのかと問うたが、Aは答えなかった。FはAが広島電鉄宇品線の電車通りを渡って西側へ行くのを確認した。なお、Aの服装は、死体で発見された時のものと同一であった(F(第三回)、G(第四回)、H子(第四、五回)及びI子(第一〇回)の各公判供述、検一・二八号捜査状況報告書、検二九号写真撮影報告書)。

4 被告人の平成五年一二月一九日以降の行動

被告人の後記自白供述を除く全証拠関係から認められる事実は次のとおりである。

(一) 被告人は、Aが一二月一九日午後八時三〇分ころG宅を訪れたときこれに同行し(検二五号J子の警察官調書、被告人の第三一回公判供述)、被告人が自宅で同日午後八時五六分からK子に電話をしているときに、被告人にも「後から来い」と声をかけてAが外出した(K子の第八回公判供述、被告人の第三一回公判供述、検一六八号電話料金領収証)。

(二) 翌二〇日午前五時すぎころ、被告人は第一桟橋に姿を見せた(検三〇号中岡尚の警察官調書、被告人の第三一ないし三三回公判供述)。

(三) 同日午後一時四六分ころ、被告人はAの通帳、印鑑を広島銀行皆実町支店に持参して、判示罪となるべき事実の第一記載の犯行に及んだ。

(四) Aの元妻は、Aが電話をすると言いながら二〇日中に連絡がなかったことから、翌二一日、連絡先として聞いていた被告人方に二回に亘り電話を掛け、被告人方の留守番電話に、連絡されたい旨の伝言をした(I子の第一〇回公判供述)。

(五) その後の一二月二七日午前九時一二分ころ、被告人は、再度Aの通帳、印鑑を広島銀行広島駅前支店に持参し、判示罪となるべき事実第二の犯行に及んだ。

二  これらを総合すると、Aは、平成五年一二月二〇日午前二時ころ、相当酩酊した状態で、被告人方の約一キロメートル先で友人と別れ(その道筋からして、そのころ寄宿していた被告人方に戻ろうとしていたと推測される。)、その後行方不明となり、その当時の服装のまま翌平成六年一月四日午前八時二〇分ころ前記一万トンバース沖で溺死死体にて発見されたもので、死体のアルコール濃度から考えて、友人と別れた後酩酊のさめないうちに海中に落ちたものと推測されるが、その海中転落が如何なる原因によるものか、事故か他人の作用か、はたまた被害者自身の意思によるかは全く不明である。

したがって、本件ではAの死亡をそもそも他殺と断定する資料はなく、さらに他殺としても、一4の認定にかかる事実の中には、被告人がAの失踪に何らかの関与をしているのではないかとの犯人可能性を疑わしめる一応の情況証拠といえるものもあるが、その犯人と被告人の同一性を示す直接証拠は、被告人の捜査段階における自白が唯一のものである。

三  被告人の自白の内容は、ほぼ以下のとおりである。

平成五年一一月末ころから被告人方に泊めてやっているAが、被告人の家賃を払ってやると言ったのに実行せず、被告人から借りた金も返さないなどAを疎ましく思っていた。また、被告人自身の支払うべき金がかなりあるので、Aを殺害してその所持している通帳、印鑑を盗んで預金を下ろそうと思いつき、Aを酔わせた上で同人の勤務するフェリーに飲みに行こうと誘い、海に突き落として溺死させようと機会を狙っていた。同年一二月一九日午後一一時ころ、Aが飲酒しに出かけた留守に、同人のバックを開けて預金通帳で残高を確認した。翌二〇日午前二時三〇分ころAが帰宅し、その酔った姿を見て前記考えを実行に移すこととし、Aを誘って第一桟橋に連れて行った。午前三時ころ、Aが先に立って同桟橋東側に停泊しているフェリー(四万十川丸)に乗り込もうと、桟橋上のコンクリート台(防舷材)に両手をついて上がったので、被告人も同様にして上がり、そこで、Aの背中を両手で押した。すると、Aは、船と桟橋の間に落ち海中に沈没した。

四  しかるに、被告人は、捜査段階においても、検察官に対しては一部を除き、その自白は虚偽であるとして、本件犯行を否認し、公判段階に至っても同様の否認供述をしている。

弁護人は右自白は任意性がなく、またこれがあるとしても信用性がないとして、本件犯行を全面的に争っているので、以下これらにつき順次詳細に検討する。

第三  自白の任意性について

一  まず、島田警察官の公判供述及び本件関係各証拠によれば、被告人の本件犯行についての供述経過は次のとおりである。

1 被告人は、平成六年一月五日午後三時五〇分ころから司法警察員島田秀男(以下、「島田警察官」という。)による任意の取調べを受け、同日午後四時三〇分ころにはAの預金払戻に関する詐欺行為等について認め、さらに午後五時三〇分ころにはAの殺害を認めた。そして午後五時五〇分ころから強盗殺人にかかる前記公訴事実とほぼ同旨の事実(以下、「本件被疑事実」という。)を大筋で認める内容の上申書(検一一〇号)の作成を開始して午後六時三〇分ころにこれを終え、午後六時四〇分ころから預金の払戻及び通帳等の隠匿に関する上申書(検一一一号)の作成を開始して午後七時五分ころにこれを終えた。被告人が強盗殺人、有印私文書偽造、同行使、詐欺の被疑事実で逮捕されたのは午後一一時過ぎで、その際の弁解録取においても、本件被疑事実を認める旨の供述をした。

2 被告人は、翌六日の警察官による取調べの際には本件被疑事実を認める供述をしたが、同月七日には、検察官による弁解録取及び裁判官による勾留質問において本件被疑事実を否認し、さらにその後行われた警察官の取調べにおいては、右否認が虚偽である旨供述した。

3 被告人は、同月八日から一六日まで、一貫して警察官に対し本件被疑事実を自白しており、同月一一日には検察官に対しても本件被疑事実を自白した。なお、同月八日、一〇日、一三日及び一四日には、警察官に対し、弁護人らに対する本件被疑事実の否認は虚偽であると供述した。

4 被告人は、同月一七日、検察官に対し本件被疑事実を否認し、翌一八日検察官に対し本件被疑事実を一旦自白したが、その後再び否認した。以後被告人は、警察官に対しては一貫して本件被疑事実を自白し、検察官に対しては同月二〇日の供述(検一一四号)を除き、一貫して否認し続けた。

5 被告人は同月二六日に強盗殺人罪等で起訴され、同年三月一六日に行われた第一回公判期日の罪状認否において強盗殺人にかかる公訴事実を否認し、以後否認を続けている。

二  以上の認定事実を前提に、被告人の捜査段階における自白の任意性について検討する。

1 弁護人は、被告人の捜査段階における自白のうち、(1)警察官調書については、島田警察官による偽計・脅迫・誘導に基づいた取調べがなされ、佐藤喜久也警察官の取調べを受けている時にも右影響を強く受けていたものであるから任意性がない、(2)検察官調書については、(1)に指摘した取調べの影響を強く受けているため、やはり任意性がないと主張する。

他方、島田警察官は、右(1)にいう偽計・脅迫・誘導は全くなかったと供述している(島田警察官の第二〇回公判供述)。

2 弁護人は右主張に関する証拠として被告人作成の日記帳と題するノート(弁一六号)を提出した。そこで、まずこの日記帳について検討する。

(一) 右日記帳作成に至る経緯について、被告人は、当初、平成六年一月六日に被告人自身でノートを購入して同月四日と五日の分については思い出して記載し、以後取調べのあった日毎に記載したのであり、右記載をした理由としては単にその一日の出来事を書きたかったからであると供述していた(第一七回公判)が、右記載理由については弁護人から取調べの状況について逐一書いておいて欲しいと頼まれたからだと供述を変更した(第一八回公判)。

さらに、当該日記帳の作成時期及び作成状況等について、被告人は記載した理由の変更後も右供述と同旨の内容を繰り返していた(第一八、一九、二七回公判)が、第三〇回公判において、留置場で書いたノートは拘置所に移監される際両親に宅下げしており、当該日記帳は拘置所で被告人が記憶を喚起しながら書いたものであると供述を変更した。

なお、被告人は右留置場で書いたノートの宅下げ時期等についても曖昧な供述をしている(第三〇、三二回公判)。

右被告人の当該日記帳に関する供述変更は、いずれも特に合理的な説明もなく唐突になされており、不自然である。

(二) 右日記帳と題するノートの中身を一見すると、平成六年一月四日から同月二六日まで日付を打って整然と書かれており、筆記具も同一の物を用いて、短期間にほぼ一気に書かれた様を呈している。また、同月一四日から同月二五日まで日付が連続して訂正されている。内容は、同月六日以降連日ほぼ同様の内容、すなわち、刑事の厳しい取調べがあり、刑事の作り話の調書を取られ、違うというと、刑事が手をぐうにして殴る構えをする等で、無理矢理指印、署名させられた、刑事の態度がすごくこわい(一月一〇日以降はこれに加え、検事はやさしい、検事の調書がぼくの本当の気持ちである)旨のことがつづられている。しかるに、特定の日の出来事として特筆するに値すること、例えば検察官の面前での弁解録取及び勾留質問での否認(一月七日)、検証(一月一七日、一九日)、そして、被告人が第一八回公判で供述する、検察官調べに島田警察官が同席したため自白したとする一月一一日の取調べ等については、各該当日分の記載には全く触れるところがないばかりか、一月一一日付の検察官調書は自白調書であるのに、同日の欄には他の検事取調べの日と同様の記載になっている。また一月一九日の夜間検証に関しては、なぜか同月二四日分の記載に同日の出来事のように記載され、一月一八日付の検一四二号検察官調書に一旦署名指印を拒否したのに、同日分には他の日と同様に検事の調書が本当ですと記載されている反面、同月一四日分に同日のことのように記載されている。これらは、毎日その日の出来事を記載したものとしては不自然、不可解というべきである。

(三) これらの事情をふまえて、右ノートの作成等について検討するに、被告人作成の陳述書(ノートに関係する事、弁一九号)、当公判廷(第二七回以降)における被告人の供述から推測すると、およそ以下の経過が窺われる。被告人は、当初広島南警察署留置場にいる間、渡部弁護人の指示により取調状況を、平成六年一月一一日同弁護人が差し入れたノートに記載していたことがあった。拘置所に移監された後、右ノートが渡部弁護人に渡っていないことから、再度同弁護人の指示により、同年二月九日拘置所において新たなノートを求め、そのころ、何も参照することなく被告人自らの思いのままに二、三日間でこれに記載した。被告人はこれを同年三月三日渡部弁護人に宅下げして弁一六号となった。一方、当初被告人が記載していたノートは、弁護人らが弁一六号を提出し、かつこれに関する被告人の供述を得た第一七ないし一九回公判(平成七年五月三一日から同年七月一二日)の後の平成七年一一月八日まで拘置所に保管されていたところ、同日両親宛に宅下げされた。しかもその後両親の手によって焼却されたという不可思議な経過をたどっていることになる。

これらの経過には弁護人らと被告人との間に何らかの行き違いがあった可能性は否定できないものの、いずれにしろ、このような作成経緯に疑念のある事情のもとでは、本法廷に顕出されている弁一六号のノートが被告人の取調べ状況を正確に示すものとは到底認めることができないから、前記の記載を被告人の捜査段階での取調べ状況を認定する証拠の用に供することはできない。

3 被告人は、第一七回公判において、取調べに当たり、<1>島田警察官に怒鳴られた上、握りこぶしで殴りかかるような素振りをされたため怖くなった、また、<2>同警察官から、(平成五年)一二月一九日の夜中に被告人とAが肩を組んで歩いているのを見た者がいると言われ、これらの理由から、本件被疑事実を認めたと供述している。

(一) しかるに、被告人は、捜査段階での検察官調書(検一三九号)においては、「もう一度確認するが、君が『刑事さんの追及が恐かった』と言っているのは、実際に怒鳴られたりしたとか殴られたりしたとかあるいは拳を君の顔の方に突き出すなどして殴るような素振りをされたからではなく、島田刑事の質問の仕方がきびしい口調だったことや調べ中島田刑事が両手を開かず握っていたことを言っているのに間違いないか。」との検察官の問に対し、「間違いありません」と述べている。

本件被疑事実を否認している各検察官調書に関して、被告人は、当公判廷において自らの言い分を聞いてもらったものであると供述している(第一八回公判供述二二〇及び二九〇項等)ところ、右検一三九号(検察官調書)の内容は被告人が公判段階で主張する<1>の供述に反し、このことからすると、<1>の供述はにわかに措信し難い。

(二) 次に<2>の主張についてであるが、被告人の検察官調書には以下の供述がある。

検一四〇号

「私は宇品の桟橋が夜人通りのない所なので宇品の桟橋でAさんを海に突き落としても人目につかず目撃者もいないと思って宇品の桟橋でAさんを海に突き落としました。ところが島田刑事に目撃者がいるぞとか証拠もたくさんあるなどと言われ警察の方の捜査が進んで私がAさんを桟橋から海へ突き落としたことがばれてしまったと思いました。目撃者がいて警察がその目撃者から事情を聞いたりして捜査が最終段階に入り私の犯行がばれてしまったと思ったのです。それで目撃者がいることなので嘘をついても仕方がないと思い実際にAさんを海に突き落とした桟橋を犯行場所であると本当の事を書いたのです」

検一四二号

「私は一月五日に警察に取り調べられた時はいないと思っていた目撃者がどうやらいたらしいと思ってしまったので嘘をついても仕方がないと思いAさんを殺したことを認め上申書を作成したりその後の警察の取り調べも正直にAさんを殺したことを認めて話しをしました」

右各調書の内容及び島田警察官の第二〇回公判供述によると、被告人はAの預金払戻に関する詐欺行為その他について、当初否認していたが、被告人の写っている防犯ビデオ等の証拠を突き付けられて自白したことに鑑みると、本件被疑事実に関する目撃者の存在を、島田警察官において被告人に対し何らかの形で示唆した可能性を否定できない(この点、検一四二号の検察官調書においては、被告人が勝手に目撃者がいると思い込んでしまったような供述になっているが、取調官からの何らの示唆もなく、被告人が勝手に思い込むという状況は想定困難である。)。

(三) 以上から、第一に島田警察官において目撃者が存在することの示唆を被告人に対して行ったこと、第二に、前記検一三九号(検察官調書)において確認されている程度の、島田警察官が厳しい口調で被告人に質問したり、自分の手で拳をつくったことがあり、時として被告人に右拳を近づけたことがあることは否定できない。右第一の点は、本件記録上目撃者の存在ないしその可能性すら窺えないことからすると、いささか妥当性を欠く取調べであったといえるが、これをもって直ちに強制、拷問あるいは脅迫もしくはこれに準ずるような違法ないし不当の疑いがあるとはいえない。第二の点は取調べの当・不当にすら何ら影響を及ぼさない事情というべきである。いずれにせよ、これらの事情は、被告人の自白の任意性に疑いを差し挟ませるまでには至らない。

4 被告人は、第一八回公判において、一月一一日の検察官の取調べに際しては、島田警察官が同席し、そのため自白せざるを得なかったと供述する。

しかし、検察官の取調べに、当該事件の取調べ担当警察官が立ち会うこと自体異例に属すると考えられるが、島田警察官はこれを明確に否定していること(第二〇回公判供述)及び被告人の右供述は唐突で、捜査段階で虚偽の自白をした理由を子細に供述している検察官調書のどれにも登場していないこと、前記弁一六号にも全く触れられていないことからすると、信用するに値しないというほかない。

5 さらに一でみたとおり、被告人の供述経緯は、警察官に対する自白と検察官に対する否認とが相当期間に亘って並行した状態となっている。これは極めて特異というべきところ、後に信用性において詳細に検討するとおり、このような状況は、被告人が取調警察官に迎合して供述した結果生じたとみる余地も多分にあるから、右状況は本件ではむしろ任意性の徴憑ともなり得る。

6 その他、本件全証拠を精査しても、被告人の自白が任意にされたものではないことを疑わせる証拠は存在せず、他方一1でみたように本件被疑事実に関する上申書の作成自体、任意捜査でかつ短時間で行われていること等の事情からすると、右自白の任意性は肯認されるべきであるから、1でみた弁護人の主張は採用できない。

第四  自白の信用性について

一  既に述べたように、被告人の警察官に対する本件被疑事実の自白は、検察官に対する否認と相当期間に亘って並行した状態になっている。また、同一の日に、自白、否認そして否認は虚偽であるとの供述を引き続いて行い(第三、一2)、同一取調官に対し同一日に自白と否認をし(同4)、弁護人に対し否認したがこれは虚偽であると警察官に述べ(同3)、あまつさえ、自白調書の中で「親らにはこれからもやっていないと嘘をつき続けると思う、自分は二重人格的な性格だから人から嘘つきと言われることもある、だから弁護士にも平気で嘘がつける」(検一二九号警察官調書)と述べるなど、その供述状況は極めて特異というべきである。これ自体からも、その供述内容の吟味に一層の慎重さが要求される。なお、以下の点も指摘できる。

1(一) 被告人が自白に至った理由について、警察官調書で繰り返し被告人自身の良心によるものであるとの供述がなされている。しかるに、被告人は、Aの預金払戻に関する詐欺行為等についてすら証拠を突き付けられなければ自白しなかった(前記の島田警察官の公判供述)というのに、素人的認識からいっても罪責としてはるかに重いことが明白である強盗殺人について、ただ良心から自白した(例えば、被告人の検一三一号警察官調書に右の経過の記載がある。)というのは、やや不自然の感を拭えない。

(二) 他方、検察官調書で供述されている警察官に対する自白の理由をみるに、自白している調書においては、第三、二3(二)で指摘したとおり警察官から目撃者の存在に関する示唆があったためとなっており、否認している調書においては、右理由に加え、島田警察官に対し恐怖を感じたためとなっている(検一三九・一四八・一五二号)。

(三) こうしてみると、特に警察官調書にいう自白に至った理由それ自体の信用性にも疑問があるので、右自白の信用性についてより慎重な検討が求められる事由となるというべきである。

また、既にみたように、警察官から、本件被疑事実に関し、目撃者が存在する旨の示唆があった可能性があるところ、本件記録上、目撃者の存在ないしその可能性すら窺うことができないから、右示唆は、それが何故なされたかはさておき、本件被疑事実の自白の信用性に疑いを差し挟む一事由となり得る。

2 次に、被告人の警察官に対する自白と検察官に対する否認とが長期に亘り並行した理由について考察する。

(一) まず警察官に対する自白がなされている調書中に、検察官等に否認している理由が多数回に亘って供述されている(検一一四・一一五・一一七・一一九・一二三・一二四・一二五・一二九・一三一・一三七号)。

その内容は、概ね、強盗殺人を認めて重い刑が科されることになるのを恐れたため警察官以外の者に対しては否認している、他方で警察官に対しては最初から正直に話しているので今更嘘がつけない、となっている。

しかるに、検一一九号においては、「私は刑事さんに対しては最初から本当のことを話して上申書にも自分からすすんで書いており今更嘘もつくことができないので正直に引続き警察に話している」とある一方で、「自分が不利になることは誰がなんと言おうと嘘を言い通すようにもなりました」とも供述し、また検一二九号では、罪から逃れたい気持ちに変わりはないとしたうえで、自分は二重人格的性格で嘘つきと言われることもある、警察官以外に対して、やっていないと嘘を言ってきたし、これからも言い続けると思う、とさえ供述している。

(二) 次に、被告人が本件被疑事実を否認している検察官調書(検一四八・一五二号)及び被告人の公判供述に鑑みると、既にみたとおり、島田警察官に対する恐怖感が警察官に対する自白を維持した理由として挙げられているほか、被告人が、検察官らに対して否認した後、警察官らに対して自白すると島田警察官は特に何も言わなくなった(被告人の第一七回公判供述)とある。

第三、二3(三)で認定した島田警察官の本件被疑事実取調べにおける態様に鑑みると、被告人の主張のように、島田警察官に対する恐怖感のみで自白を維持したとはいい難く、被告人の右公判供述にも鑑みると、同人が、島田警察官の意に沿うよう、迎合して自白を維持したとみえるふしもあるが、それ以上の認定は困難である。

(三) 以上のとおり、被告人の自白と否認が並行してなされている理由は結局解明することができない。ちなみに、警察官調書に供述されている否認の理由は、前記のとおり結局のところ、「自分は嘘つきだから否認する」ということにもなり、被告人自身の供述としては余りにも奇怪であり破廉恥ですらある。これには、取調官側の、検察官や弁護人に対しては被告人が否認してしまうことに対する苛立ちから、感情的な質問をし、それに対する答えをそのまま調書化したのではないかと疑う余地もある。

二 さらに被告人の自白ないしこれを前提とする供述について、本件記録における証拠関係に照らしつつその内容を検討するに、以下のとおり、その信用性ないし真実性に疑問を差し挟むべき事由が多々ある。

1  犯行の動機について

(一) これに関する被告人の供述は、検一一三・一一四・一一八・一二〇・一二二・一二三・一二六・一三二・一三三号の各警察官調書、検一三八号の検察官調書にある。

これらによれば、被告人は本件犯行の動機について、第一に、自らの借金があったこと、第二に、被告人方に寄宿しているAがうっとうしく感じられるようになったこと、第三に、金を約三〇万円Aに貸しているにもかかわらず、同人が返済してくれなかったこと、第四に、平成六年一二月一九日Aに被告人が持っていた九〇〇〇円を渡してしまい、切手代や忘年会の会費がなかったことを挙げている。

(二) そこで右各動機について検討する。

(1) 動機の第一について

まず被告人の借金状況をみるに、検七三号捜査状況報告書によれば、平成六年一月八日現在での被告人の負債額は、公租公課、公共料金及び商品購入代金等で合計二三一万三七〇五円と認められる。また検七四号捜査状況報告書によっても、被告人は当時毎月の収入以上に金銭を費消し、毎月実家の母らから援助を受け、金銭にひっ迫していた状況が窺える。しかし、平成五年一二月の時点で具体的に被告人が支払請求されたとの認識のあるものは、せいぜい同年一二月六日以降株式会社丙川からあった二六万円余りのエアコン代金の立替金請求くらいであり、被告人はこれに対し、二回に亘り葉書で猶予依頼をしているが、その中で下船できないとの虚偽の弁解をなしており(検一二〇号被告人の警察官調書、検七一号Lの警察官調書)、被告人が、右債務の支払方を深刻に悩んだ様子は窺えない。そもそも被告人は、右の公租公課、公共料金という基本的な生活経費すら日々支払っておらず、いざとなれば親に頼ろうとの考えを持っていたのであり(前記の検七三号捜査状況報告書、検七二号甲野松太郎の警察官調書、検一四一号被告人の検察官調書)、負債を自力で弁済しなければならないとの感覚に乏しい人格とも考えられ、その返済につき悩んでいたか疑問である。仮に被告人が自らの負債について悩んでいたとしても、深刻であったとは考え難く、これを免れるため被告人がAの預金を取得しようと考えるのは別論として、同人を殺害してまでその預金を手に入れようという、強い意欲を抱くというのは、今一つ不自然さが残る。

(2) 動機の第二について

被告人の供述中には、当初Aが同居することに同意したものの、右同居が予想外に長くなって同人をうっとうしく感じるようになったということが何度か出てくるが、その具体的内容として述べるのはAが部屋の中で煙草を吸ったりすること、被告人が買っておいた食料品をAが勝手に食べること、K子に電話をするときにAが邪魔であること等であり、これらは、それ自体ではAに対して殺意を抱くに足る事情とは通常考えられない。

(3) 動機の第三について

これはAの預金を取得したこと自体の動機としては特に不自然さを感じさせないが、あえて同人を殺害してまでして右預金取得行為をする動機としては、やはりその金額からいって不自然さを拭えない。

(4) 動機の第四について

もともと金額が僅か九〇〇〇円にすぎないし、それもAがボートに負けて返してくれなかったから親に頼めばどうにかなると思った(検一二三号被告人の警察官調書。以前にも被告人が親に支払いを頼っていたことは前記のとおりである。)との被告人の供述及び支払いに必要な金額等にも鑑みると、やはりこれ自体がAを殺害してまでも預金を取得しようとする動機とみるのは不自然、不合理といわざるを得ない。

(三) 以上みてきたように、動機として供述されている四つの事情は、それ自体本件犯行の動機とみるにはいささか深刻さに欠け、不自然といわざるを得ず、それら四つの事情を総合したとしても、やはり強盗殺人の動機としては弱く、不十分な感を否めない。

2  被告人の自白で犯行現場とされる場所の状況について

(一) 被告人は、本件犯行を初めて自白した平成六年一月五日作成の上申書(検一一〇号)において、殺害場所、方法について、「県営桟橋において、Aが勤務している瀬戸内海汽船の石手川というフェリーに誘い出して、船に乗るときに後ろから手で押し、海に突き落とした」旨記載し、併せて添付した「Aさんを海につきおとしてころした場所」との図面には、同桟橋東側該当部分を図示し、石手川丸と船名を記載しており、引き続き同日深夜行われた、逮捕後の警察官に対する弁解録取において、「石手川というフェリーが停泊してある桟橋の上から両手で強くAさんの背中を押して」と供述した(検一一二号弁解録取書)。このように、被告人は、当初の自白供述の中で本件犯行場所を、第一桟橋の東側であるとし、そこには石手川丸が停泊していたとしていた。

そして、被告人は、その後の自白でも、犯行場所、方法について、右桟橋東側のコンクリート台に上ったAが船に乗ろうとしているのを後ろから押して海中に転落させた旨一貫して供述している。また、その中で、Aが右桟橋の中央側からコンクリート台の上に両手をかけ飛び上がるように上った、自分も同じように上ったとして、簡単に上った旨を繰り返し供述している。

他方、当時右桟橋東側に停泊していた船名については、一月六日作成の警察官調書(検一一三号)において、取調官から「石手川丸に間違いないか」と問われて、これには直接答えず、上申書に石手川丸と記載した理由を述べ、次いで、同月八日作成の警察官調書(検一一六号)では、当時右桟橋東側には石手川、四万十川、太田川のうちどれか一隻が停泊していたと述べ、同月一九日作成の警察官調書(検一二九号)に至って「船名まで覚えていたわけではないが、三回にわたって現場検証に立ち会った結果として、デッキの型などからして、事件当時の船は四万十川であったような気がする」、「当時私は実際に船名などのことは考えず、もうやってしまえと思ったのでAさんの背中を黙って突き海に落としたのです」と供述した。

(二) 本件との関係でいえば、被告人の自白供述で最も重要なのは、犯行の場所・方法、即ち右桟橋東側のコンクリート台上で船に乗ろうとしたAを押して落としたという点である。そして、そこに停泊していた船の名は、それによって直接刑事責任に影響を及ぼすものではないが、現場に停泊していてAが乗ろうとしていた船がどれであったか、そもそも被告人がどのようにしてAを誘ったかは、犯人や被害者の行動・目的と関わるものであり、犯行の場所・方法とも密接に関連するから、現場の状況として極めて重要な事実であり、この点についての供述の信用性は、殺害場所・方法についての供述に劣らず重要というべきである。

(三) 現場の状況に関して関係各証拠から以下の事実関係が認められる。

(1) 平成五年一二月一九日から翌二〇日にかけての第一桟橋における船の停泊状況

M(検三四・三五号)、N(検三六号)、O(検三八号)及びP(検四三号)の各警察官調書、検三七号捜査状況報告書によれば、平成五年一二月一九日午後九時四〇分、乙山株式会社所属のフェリー四万十川(以下、「四万十川丸」という。)は右桟橋東側に停泊し、同日午後一〇時五〇分、石手川丸は同桟橋西側に停泊したこと及び翌二〇日午前六時に四万十川丸が、同日午前六時四五分に石手川丸がそれぞれ出航したことが認められる。

(2) 第一桟橋における停泊した船についての深夜の視認状況など

まず、平成八年一〇月二五日に当裁判所が実施した検証において、「(当日)午後一一時三〇分になると、第一桟橋にある水銀灯が消え、周囲は暗くなった。しかし、第一桟橋北側の建物東側にある蛍光灯(写真10 略)は点灯しており、四万十川丸の船名はその一〇メートル位北側から確認することができた。また、第一桟橋にある水銀灯が消えた後、第一桟橋西側に停泊していた太田川丸の船名もその一〇メートル位北側から確認することができた(写真11 略)」(平成八年一二月一九日付検証調書)のである。そして、検証時に存在した右桟橋及びその近辺の蛍光灯は平成五年一二月二〇日当時にも存在し、かつ同日午前三時ころにも点灯していたことは、沖野隆一の警察官調書(検四五号)により認められるのであって、平成五年一二月二〇日午前三時ころ、右桟橋東側付近において停泊している船の船名は視認可能であったといわなければならない。

また、E及びGの各公判供述、Nの警察官調書(検三六号)及び捜査状況報告書(検一〇四号)からは、四万十川丸と石手川丸とは全高、総トン数は同一であるが、外見上明らかな違いとして、船体ラインの色が四万十川丸は、青、青緑、黄緑、石手川丸は灰、オレンジ、灰と明らかに異なり、船名は各船体に大きく書かれているほかスタンバイデッキに防風壁があるかないかでも異なっており、両船を見慣れた者であれば、船型で両船の区別ができると認められる。そして、Qの警察官調書(検四八号)によれば、昭和六三年から平成五年にかけて、被告人は、石手川丸、四万十川丸及び太田川丸の売店販売員として勤務していたこと、またRの警察官調書(検五六号)によれば、被告人は平成五年に「銀河」のアルバイトとして採用された後、勤務時間外に何回もフェリーに乗っており、フェリー好きであることが窺われることからすると、被告人は、平成五年一二月二〇日当時、船型で四万十川丸と石手川丸の区別ができた可能性あると推測される。

そうすると、被告人が右同日午前三時ころに本件犯行場所とされる第一桟橋にいたとすれば、停泊している四万十川丸を石手川丸と見間違える可能性は少ないと考えられる。

(四) 船名についての右供述変更の理由に関する被告人の供述は、検一一三・一一六・一二九号の各警察官調書にある。また、検九九号の検証調書、検一〇〇号の実況見分調書中の指示説明にも船名に関する説明がある。以下それぞれの記載を時系列に沿って検討する。

検一一三号(平成六年一月六日付警察官調書)

「Aさんを誘う時石手川丸が桟橋にいればいいなと考えていたので、その気持ちが上申書について出てしまいその様に書いたのです。上申書には石手川丸と書きましたが私にしてみればなんの船であろうと殺したことには間違いないので深い意味はないのです。」

検一一六号(同八日付警察官調書)

「最初のころの調書等では石手川に誘ったと話していますが、よく考えてみると船名は言葉にしていないような気がしますのでその点訂正して下さい。」

「この桟橋が当時暗い状態で船名など見えなかったのでどの船か全く分かりませんでした」

検一〇〇号(同月九日実施の実況見分調書)

「立会人甲野太郎は、桟橋一号北側にある鉄柵に設けられた二箇所の出入口のうちの西側の出入口を指示し(中略)、さらに『船名が書いてある方は見えなかった』と説明した。」

「立会人甲野太郎は(中略)、さらに桟橋出入口からコンクリート製防舷材(コンクリート台)西側前桟橋上に至る間の状況について『常に、私はAさんの左斜め後を話もせず歩いた。船名の方は見ていない。』と説明した。」

検一二九号(同月一九日付警察官調書)

「Aさんを殺した時の船は四万十川だったと思うのです。その理由は船名まで覚えていた訳ではありませんが、三回にわたって私が現場検証に立ち会った結果としてデッキの型などからして事件当時の船は四万十川であったような気がします」

検九九号(同月一九日実施の検証調書)

「立会人(被告人)は『Aさんが防舷材(コンクリート台)に上がろうとしている時、船が違っている事に気が付いた。』と説明した。」

(五) そこで、(三)で認定した事実関係を踏まえ、右供述変更の理由に合理性があるかを検討する。

(1) 右検一一三号の説明は、犯行時間とされる時には、第一桟橋東側に四万十川丸、西側に石手川丸が停泊していたことに照らすと、合理的説明とは言い難く、検一一六号の説明は、フェリー乗組員らの船での飲酒の実情、被告人の認識(この点については、誘い出す行為のところに後述する。)からみて、被告人とAの間では、具体的に船名を挙げなくても、行先はAの乗務していた石手川丸であることは当然のことといえるが、上申書に同桟橋東側に石手川丸が停泊していると図示していることとの関係では合理的説明とはなり得ない。

(2) また、被告人の変更された供述の内容においても、検一一六号では船名は見えなかったとし(これが事実に反することは前記のとおりである。)、検一〇〇号(一月九日実施の実況見分調書の指示説明)では船名の書いてある方を見なかったとしていた(コンクリート台の近くに四万十川丸の船名の部分があることに徴すると不自然さを否定できない。)ところ、検九九号(一月一九日実施の検証調書の指示説明)では、突然、殺害実行前に船が違っていることに気付いたとしているが、この内容についての詳細な調書はない。

(3) さらに、四万十川丸が第一桟橋東側に、石手川丸が西側に停泊していたのであるから、被告人とAが船に酒を飲みに行ったとすれば、行先は石手川丸となる筈であるのに、Aが何故、石手川丸に乗らずに四万十川丸に乗ろうとしたかが問題となる。

この点につき、被告人の供述中には明確に触れるところがない。強いていえば、検一一六号・一二九号中に、「暗くて船名など見えなかったので、どの船か全く分からなかった。Aも暗さや酔っていたことから、どの船か分からなかったはず」との趣旨の部分がある。このうち、暗いから分からないとの部分は、(三)(2)でみた客観的状況からしてあり得ないことである。察するに、酔っていたAが、船名に気付かず、あるいは、気にせず、先に立って第一桟橋東側の船に乗船するためコンクリート台上に上ったから、被告人自身も船を気にせず、どうせ突き落とすのだから乗る目前の船が石手川丸か四万十川丸かは関係なく、犯行の可能な時点で敢行したということが想定される。それならば、次にはなぜ、Aが右桟橋東側に停泊している船に乗船しようとしたかが疑問となる。(三)(2)で認定した状況に加え、石手川丸と他の船とが右桟橋の両側に停泊している状況において、A自らが専属的に乗船勤務している船を間違えることは、酔っていたとはいえ、およそ考えられないことである。仮に、Aが、そのような間違いをするほど前後不覚になるまで酔っていたというのであれば、後に述べるAの行動、すなわちコンクリート台に自力で上がったということが非常に疑わしいこととなろう。また仮に、石手川丸が右桟橋に停泊するときは必ず東側に着岸していたが、当夜偶々特別に西側に着岸したなどという事情でもあれば格別、そのような事情もないのに、Aがわき目もふらずに東側の船に直行した理由を見い出し難い。

(4) 前に述べたところから、被告人にしても当時第一桟橋東側に停泊していたフェリーが四万十川丸であったことに気が付いたはずと推測できるが、そうであるならば、被告人が仮に真犯人であれば、石手川丸を念頭においてAを船へと誘ったところ、同人が間違って四万十川丸の方のコンクリート台に上っていったので、そうでもいいやと思って犯行を実行したことになり、真摯な自白であれば、当初からその旨を供述するはずであるのに、その供述はなく、かつそう供述しなかった理由についてなんら合理的な説明がない。そもそも単純に、当初は船が違ったことを失念していたのであれば、想起した時点で率直にそう述べればよいところ、被告人はそうもいわず、暗くて船の名前は見えなかった、(関心がなく)船の名前の方は見なかったと供述するのは逆に不自然といえる。

(5) このように、犯行時の犯行現場の状況として最も重要な、直前に乗船しようとしていた船が何であったかに関する被告人の供述には、実際に体験した真犯人であれば当然体験し、かつ思考したであろう事柄についての説明がなく、各供述はむしろその場しのぎの行き当たりばったりの類に属するもので、不合理である。

(6) 以上のとおり、船名に関する被告人の自白供述には信用性に疑問が残り、これは犯行と密接に関連する事項であるから、自白供述全体の信用性に疑いを生じさせる一事情といえる。

そもそも、最初に犯行を自認した平成六年一月五日作成の検一一〇号上申書(添付図面を含む)では、被告人がAを石手川丸に誘い、第一桟橋東側のコンクリート台から同船に乗ろうとした同人を後から押して落とした旨の記載であったところ、島田警察官の公判供述等に照らすと、被疑者の取調べと並行して行われた裏付け捜査において、同桟橋東側に停泊していたのが四万十川丸であったことが判明するや、翌六日以降、それに合わせる形で、船名に関して被告人の供述変更がなされたとみられる。このような経緯・供述内容の変遷等に鑑みると、警察官が現実に停泊していた船を前提にして供述を求め、被告人が呼応して場当たり的に供述したことが優に推認され、少なくともその可能性を否定できないことを考え併せると、船名変更についての被告人の供述には警察官の示唆あるいは誘導による可能性も否定し得ない。さらに、上申書が作成される時点で、島田警察官はAが石手川丸の乗務員であることを知っていたと推認されること(Xの第二二回公判供述)及び前記のとおり被告人が現場にいれば、四万十川丸と石手川丸を見間違うとは考えられないことも加えると、上申書における石手川丸の船名自体についても、同様の疑いを否定し切れない。

のみならず、Aが飲みに行くとすれば乗務していた石手川丸であるのに、同船に向かわず、見間違える筈のない四万十川丸に乗ろうとしたことについて合理的説明のできない本件においては、被告人がAを船に誘って桟橋に行ったこと自体についても疑問が残ることになる。

3  犯行の状況等について

(一) Aを第一桟橋へ誘い出す行為について

(1) これについて被告人は次にように供述している。

検一一六号(警察官調書)

「Aさんは石手川の船名まで出さなくても以前太田川や四万十川という船でも飲酒していたのを知っていたのと酒好きであることからどの船が停泊していても私が誘うと一緒に行くことは日頃からよく分かっていました。」

「…Aさんはどの船でも酒が飲めることが分かっていたので…」

検一二一号(警察官調書)

「この県営桟橋にはAさんが勤務する石手川や四万十川、太田川というフェリーが停泊していることはAさん自身よく知っていることですから、船で飲もうと言えば何ら不審がらず私についてくるからです。」

(2) 他方、G、F、S、T及びUの各公判供述に鑑みると、非番の日の午前零時を過ぎた時間帯に、少なくとも自分の乗務する船でもない船に酒を飲みに行くことは通常考えられない、というのが船員ら間における共通認識と認められる。既に言及したように、被告人も約五年に亘って石手川丸、四万十川丸、太田川丸の売店販売員として勤務していたことからすれば、被告人自身も右認識を有していたとみることができる(被告人の検一三九号検察官調書)。

かような被告人の認識からすると、(1)に掲げた検一一六・一二一号の供述は矛盾している(なお、この点は、当初の上申書に「石手川というフェリーに誘い出し」との記載があったことから明らかなように、停泊していた船名の変更と関連した問題であり、右の点についての供述の信用性に関する判断がそのまま妥当する。)。

(二) コンクリート台にAが上った状況について

(1) これについて被告人は以下のように供述している。

検一一三号(警察官調書)

「Aさんはコンクリート台に上がったので私もすぐ後方について上がりました。」

検一一六号(警察官調書)

「すぐにAさんは桟橋の中央側から石に両手を掛け飛び上がるようにして酒に酔っているわりには簡単に上がり石の真ん中辺りに立ち私の方を見たのです。」

検一三一号(警察官調書)

「Aさんが自分から先に歩いてコンクリート石の上に上がったので私は酒に酔っているわりにはすんなりと両手をついて上がれたもんだと思うと共に私もすぐその後同じように両手を石の上について上がりました。」

検一三八号(検察官調書)

「Aさんが停泊していた船に乗る為にコンクリート台に登ったので私も続いて台の上に乗りました」

(2) 右コンクリート台は、高さ約一・二メートル、幅が床面で約二・五メートル×一・七メートル、上面が約二メートル×約一・四八メートル(海に面した東側がほぼ垂直で、他の三面がやや傾斜して上面が狭くなっている。)であり、上面は平らで側面に足をかける部分はない(検一〇〇号実況見分調書、当裁判所の検証調書)。

なお、フェリーの乗務員は、上陸後に船に戻る際、潮位の関係で右のコンクリート台と船の高さが合う場合などに、右の台から乗船することがあり(Uの第一四回公判供述、Vの第一五回公判供述)、この乗船方法自体は突飛なものではない。

そして、Aの身長は約一六六センチメートルであるところ(検七号鑑定書)、右コンクリート台の高さ、形状に鑑みると、少なくとも右程度の身長の人間がその上に上るには、両手を台の上について身体を引き上げる必要があると認められる。現に被告人も犯行再現の実況見分の際、そのような上り方をしている(検一〇〇号)。

(3) Aは、本件犯行日とされる平成五年一二月二〇日午前零時過ぎから同日午前二時ころまで、G宅にいたことは前記のとおりであるが、G宅にいた時酔ってろれつが回らない状態であり、同人宅を出る際に自分で立っていられない状態ではないが、少なくとも足元がふらついていたこと、また同人宅を出てから一度引っ繰り返ったことが認められる(G、Fの各公判供述)。

この点、第二、一2(四)で認定したAの死体から検出されたエタノール濃度を前提として、前記小嶋亨は「多少言諸障害が出てきてもいいかもしれませんですね。」

「まっすぐ歩けない、あるいはじっと立っておれない、そういった状況ではなかろうかと思います」と供述している(同人の公判供述)ところである。

右のように酒に酔い、まっすぐ歩くのも決して容易ではない状態であったAが、(1)のように被告人の助けもなく「石に両手を掛け飛び上がるようにして」前記コンクリート台に「簡単に上がった」というのは不自然である。しかも(2)で認定したように、被告人が本件自白で供述した上がり方以外の方法でコンクリート台の上に一人で上るのは相当困難といわざるを得ない。

4  Aを突き落とした後の状況について

(一) これに関する供述としては、時系列に沿って摘示すると、次のようになる。

検一一〇号(平成六年一月五日付上申書)

「私がおすとAさんが海の中へぶくぶくとあわをたててしずんでいきました。」

検一一三号(同六日付警察官調書)

「するとAさんは前かがみの状態で桟橋と船の間の海中にドボンブクブクという音と共に沈んでいったのです。」

検一一六号(同八日付警察官調書)

「前の調書ではその後海から声や音など聞こえないと話していましたが、それは私の思い違いであることが一昨日の説明したときに分かりました。本当はAさんが海に落とされた後、少しして海面からバシャバシャという音が聞こえたのですが、Aさんを殺すという恐ろしさからAさんのその後の姿は全く見なかったのです。」

検一三八号(同一一日付検察官調書)

「Aさんは「ドボン」という音と共に海中に足の方から落ちていきました。Aさんはその後一度も海面に浮上してくることはありませんでした。沈んだまま顔も手も見えなくなってしまいました。」

検一三六号(同二四日付警察官調書)

「私がAさんを海へ突き落とした瞬間目が海面の方へいきました。するとAさんは海に落ちてすぐ海の中へ白っぽい泡をたて沈んでいったのが分かりました。」「そして私はAさんを殺したという恐ろしさや怖いこと更にはAさんは絶対に助からず死ぬという気持ちや考え等からAさんのその後の様子は確認しないまま自宅に向けて帰りました。」

(二)被告人の供述の変遷について

右にみたように、Aを突き落とした後の状況について、検一一〇・一一三号ではただ「ぶくぶく」「ドボンブグブグ」という音とともに沈んでいったとのみなっているのに、検一一六号(その記載からは検一一〇・一一三号以外に、突き落とした後、声や音など聞こえなかったと供述している調書の存在が窺われる。)では、突き落とした後「海面からバシャバシャという音が聞こえた」が、「恐ろしさからAさんのその後の姿は全く見なかった」と訂正された。しかるに、検一三八・一三六号では再び従前の供述に戻り、前者においてはわざわざ、「その後一度も海面に浮上してくることはありませんでした」と付け加えられている。

(三) 被告人が真犯人であり、かつAを突き落とした後「海面からバシャバシャという音が聞こえた」のであれば、そのことは極めて強く印象に残ったはずである。これは徐々に記憶が喚起されてくるような事柄とは到底考えられず、また記憶違いなどまず起こり得ないものといっても過言ではない。

にもかかわらず、「バシャバシャという音」が聞こえなかったという供述(ないしはそのような音が生じ得ない状況の供述)から、「思い違い」を理由として、音が聞こえたという供述へ変遷し、さらに再びそのような音自体に言及しないか、それが生じ得ない状況の供述へと変遷し、しかもこの変遷については合理的理由はもとより理由自体が何ら示されていないというのは極めて不自然である。

5  時刻の認識について

(一) 被告人の自白供述では、Aが飲酒して被告人方に帰って来たところを桟橋に誘い出したとなっているところ、被告人は、Aが被告人宅に戻ってきた時刻につき、検一一三号(警察官調書)では「平成五年一二月二〇日午前二時ころ」、検一一六号(警察官調書)では「同日午前二時過ぎころ」、検一二三・一二七号(警察官調書)及び検一三八号(検察官調書)では「同日午前二時三〇分ころ」とそれぞれ供述している。

(1) 右のように時刻がより具体的なものへと変遷していった理由は右各調書等を子細に検討しても判然としない。

被告人は右検一一三号では「日にちが変り数時間経った」としているが、そもそもこれをもって時刻の具体的認識を得た根拠とすることはできない。他方、右検一二三・一二七号では二〇日の午前一時一五分まで被告人が見ていたテレビ番組を挙げており、その裏付けもとられている(検一〇九号捜査状況報告書)のであって、これが時刻の具体的認識を得た根拠とみることは不自然ではないが、その場合でも変遷の理由は不明のままといわざるを得ない。

(2)F・G・H子の各公判供述によれば、AがG宅を出たのが平成五年一二月二〇日の午前二時ころと認められることは既に述べたとおりである。さらにFの同供述及び検二八号の捜査状況報告書によれば、G宅から被告人宅までは徒歩で約一五分ほどかかると認められるが、Fは当時のAの状態からすると所要時間は右の倍近くかかるのではないかと供述している。

(3) (1)でみたように、被告人の供述からは時刻が変遷した理由は不明である。他方、右Fの公判供述並びに同人の警察官調書が平成六年一月五日付(検一八号)、同八日付(検一九号)及び同一一日付(検二〇号)であることに鑑みると、Fの供述に合わせて被告人の供述が変遷したとみる余地があり、取調官による誘導ないし示唆の存在を窺わせる。

(二) また、被告人は本件犯行時刻を、検一一〇号では「夜中」としていたのみであったが、検一一二号の弁解録取書、検一一三・一三四号の警察官調書、検一三八・一四二号の検察官調書では「午前三時ころ」と供述している。

しかるに、当初上申書では「夜中」としか記載しなかった被告人が何故「午前三時ころ」と供述したのか、右各調書を子細に検討しても判然としない。これについても右(一)の判断が妥当する。のみならず、AがG宅を出たのが前記二〇日の午前二時ころ、被告人宅についたのが同日午前二時三〇分ころ、被告人が本件犯行を犯した時刻を同日午前三時ころとする(各時刻はいずれもそのころであって、多少の幅を持つことを前提としても)、G・Fの各公判供述によれば、少なくとも酔って足元がふらつく状態であったAが、単身G宅から被告人宅まで約一キロメートルほどの距離(検二八号捜査状況報告書)を三〇分ほどで移動したのに、被告人の自白を前提とした供述(検一一六・一二七号等の警察官調書)によれば、被告人が肩を貸したにもかかわらず、被告人宅から第一桟橋まで約四五〇メートルほどの距離(検九九号検証調書)を、Aはやはり三〇分ほどかけて移動したことになり、不自然さが残る。

6  以上2ないし5の事柄は、既に預金取得目的でAを第一桟橋コンクリート台上から海中に突き落として殺害したという強盗殺人を構成する事実を自白している以上は、いずれも、直接刑事責任の帰趨に関係することではなく、またその情状を強いて悪くするといえるものでもない。したがって、被告人が責任を逃れよう、軽減しようなどとして、あえて虐偽のことを供述したとも考えにくいところである。

しかも、本件記録及び被告人の当公判廷における供述態度からすると、被告人の知的水準は中等度より低いレベルにあると推察されるが、これに照らすと、被告人が捜査を混乱させるためにわざと虚偽の供述をした可能性も、これまた低いといわなければならない。

そうすると、このような被告人の不自然、不合理な供述内容及び経緯は、いずれも体験供述であることに疑問を抱かせる重大な事由といえる。

三 他方、検察官は、(イ)犯行場所及び犯行方法の供述、(ロ)平成五年一二月二〇日の夜中にAが被告人宅に酔って帰ってきたという供述、(ハ)Aの預金通帳、印鑑の隠匿状況に関する被告人の供述及び被告人宅での指示説明の三点を指摘し、自白には被告人しか知り得ない右各事実に関する供述が含まれており、その信用性は極めて高いと主張する。そこでこれら三点について順次検討する。

1  (イ)について

(一) 検察官は、「現場の地理状況に精通していない島田警察官において、とても犯行場所を県営桟橋東側と特定し、しかも桟橋上のコンクリート台(通称とうふ)から突き落とすという犯行の方法・手段を想定することは困難と解するのが合理的」であり、「被告人しか知り得ない」事実であるとして、被告人の自白に高い信用性を付与するものであると主張している。

(二) 確かに、右供述は島田警察官による誘導のみでは得難いものと認められる。

しかるに、Vの第一五回公判供述によれば、被告人が第一桟橋において船に乗り込むためにコンクリート台を何度か使用していることが認められ(この点、検察官も論告において、「被告人も、深夜、係留後、桟橋防舷材(コンクリート台)からフェリー手すりを乗り越えてフェリーに乗船できることを知っており」と主張している。)、フェリーの乗組員が右の方法で乗船することがあったことは前記認定のとおりである。

このように、コンクリート台を使って船に乗り込むことができるという知識ないし体験があれば、第一桟橋でコンクリート台を使って船に乗り込もうとする際に、後ろから海中に突き落とす方法を想定すること自体は、さほど困難でないといえる。

とすれば、Aが海で死体となって発見されたことを前提とした捜査官の示唆を受けて、被告人が自宅から近く、行き馴れた本件犯行場所、犯行方法を想像した上で供述することもあり得ないことではない。この点、検一三九号の被告人の検察官調書には以下のとおり供述されている。

「問 どうしても君はAさんを海へ突き落とした場所を宇品の第一桟橋にしたのか。

答 桟橋付近なら夜中に人通りもなく目撃者などもいないことを知っていたからです。

問 君はAの死体がいわゆる「一万トンバース」沖の海上で見つかったということはこの警察での取り調べを受ける前に知っていたか。

答 はい、それは当然警察の人に教えてもらい知っていました。

問 それなら何故「一万トンバース」から突き落としたことにしなかったのか。

答 一万トンバースは私方からは遠くとても歩いては行けないしアベック等の車が停まっていて人目が多いからです。」

「問 君は桟橋の上からだけでなく先程の桟橋の上のコンクリート台の上からAさんを突き落としたことにしているがそれはなぜか。

答 頭で考えている時にそれ以外の場所からだと船を桟橋につなぎ止めておくロープ等にAさんが引っ掛かったりする可能性がありまずいと思ったからです。コンクリート台の所の船と桟橋の間にはそのようなロープはなく引っ掛かったりせず海に落ちると思ったからです。」

被告人の知識ないし体験に関する先の検討からすれば、被告人の右検察官調書の供述を不自然なものとして一蹴することは困難であって、殺害場所、方法についての前記供述が、被告人の想像の産物としてなされた可能性を否定できない。

2  (ロ)について

(一) 検察官は、(イ)同様に本供述を「被告人しか知り得ないもの」としており、その根拠を「被告人の供述以外には、警察は、同僚G、同Fを取り調べて確認しているが、警察が右両名を取り調べたのは、被告人を任意同行して取調べを開始し、被告人の口から両名の名前が出て、初めて事情聴取したのであって(Xの第二二回公判供述七八項)、事前に島田警察官がこれを把握しておくことは時間的に不可能」であるからだとして、本供述を被告人の自白に高い信用性を付与するものとしている。

(二) しかるに、論告で指摘されているXの公判供述には、本件の捜査班では、一月五日の午前中から午後にかけて、右F、Gからの事情聴取を行い、午後には、Aの一二月一九日夜からの足取りや飲酒していた状況は判っていた旨の部分がある。

(三) 第三、一1でみたように、島田警察官による被告人の取調べが始まったのは一月五日午後三時五〇分であるから、右X供述に鑑みると、(一)でみた検察官の主張をそのまま採ることはできない。

組織的一体的活動という捜査の実態に着目するなら、情報の共有が自然というべきであり、取調べ当時他の捜査官が認識している情報を当該取調官が知らなかったと立証するためには、当該情報の遮断ないし管理の徹底という事由を立証しなければならないというべきところ、検察官の指摘するX供述に鑑みても、かような立証が尽くされているとは到底認められないのみならず、(二)で指摘した同人の供述に拠るなら、むしろ島田警察官において被告人の取調べ時にF、Gの供述内容を認識していた蓋然性が高いといえる。

以上からすると、(ロ)をもって「被告人しか知り得ないもの」とすることができないのみならず、これにつき島田警察官の誘導がなかったとすることのできる保障すらないのであって、本供述をもって検察官の主張するような高い信用性を付与することは困難といわざるを得ない。

3  (ハ)について

(一) 検察官は、「預金通帳、印鑑の隠匿状況については、上申書を書いた同日、被告人が現場で指示説明し、その状況を写真撮影されており(検九四号)、その写真から、被告人が島田警察官の指示なく隠匿場所を自供したことの真実性が担保されている」として、被告人の自白に高い信用性を付与するものであると主張する。

(二) Aの預金通帳、印鑑を隠匿した状況につき、被告人は捜査段階及び第一七回公判においては、自らが隠匿し、その状況を写真撮影時において指示説明したと供述していたが、第三一回公判以降は島田警察官の指示に従っただけであると供述を変更した。

(三) 被告人は、何ら合理的理由を示すことなく突然右変更をしているのであり、右変更後の供述はにわかに措信し難いが、他方、被告人の右捜査段階の供述に鑑みても、右隠匿に関する事実関係には判然としないものがある。

まず、上申書の記載をみるに、Aの預金通帳を隠匿した場所に関して、一通目(検一一〇号)では「家のTVの近く」としていたのに対して、二通目(検一一一号)では「自宅げんかん内のげたばこの中」としている。しかるに、検一一一号に添付された図面及び被告人方の状況に関する写真撮影報告書(検九五号)によると、この二か所は全く別の場所といってよいのであり、第三、一1でみたように引き続いて作成されたと認められる二通の上申書に記載された隠匿場所がなぜそのように異なるのか疑問がある。

次に、検一四六号(被告人の検察官調書)には以下のような被告人の供述がある。

「この通帳等の隠し場所に関する上申書は自分が本当に通帳や印鑑を私方玄関内のげた箱の中に隠していたのでそのとおり書きました」

「問 君はこの上申書を作成した直後警察の人と君の家に行き実際に通帳と印鑑を警察の人に見せ提出していないか。

答 はい。実際に行きげた箱のくつ箱の下に隠してあった通帳と印鑑を警察の人に見せ提出しました。」

「問 この報告書(検九四号の写真撮影報告書)の二、三の写真にはその通帳等を入れた袋の隠し場所が撮影されているが、このような状態でげた箱内に隠していたことに間違いないか。

答 通帳等を入れた袋を隠していた場所は写真に写っているようにげた箱の一番下の段の右側に間違いありません。ただ隠し方はこの写真のようにげた箱を開けたらすぐに袋が見えるようには隠していませんでした。二の写真の手前にくつ箱のふたがあり、そのふたの中に袋を入れてありますが、その袋の入ったふたの上に奥に写っているくつ箱の本体を乗(載)せて隠しておいたのです。つまり通帳の入った袋はくつ箱のふたと本体の底の間にはさんで見ただけでは見つからないように隠していたのです。」

「実際一月五日の日に警察の人を私方に案内した時私は通帳等をげた箱に隠したことは覚えていたのですが、しばらくその存在自体を忘れていたので、くつ箱の間に入れたことをすぐには思いだせませんでした。それを警察の人が徹底的に捜して見つけ出してくれたのです」

これを検討するに、第一に、右供述にいう、「げた箱に隠したことは覚えていた」が「その存在自体忘れていた」というのは如何なる意味なのか、第二に、げた箱に隠していたことを覚えていたのであれば、右供述にいう隠し方及び検九四号写真撮影報告書で認められる被告人方のげた箱の状況等に鑑みても警察官が「徹底的に捜」すまでもなく通帳等は見つかるのではないか、という点で疑問を持たざるを得ず、他方、右供述によると、検九四号における写真も、通帳等の発見時のものではなく、発見後に再現という形で手が加えられた状況下で撮影されたものであるので、被告人方において、通帳、印鑑等を正に発見した時の状況を明らかにしているとは厳密にはいえない。

(四) なお、(ハ)につき、これを秘密の暴露に当たるとしても、これをもって直ちに本件強盗殺人の自白の真実性が保障されるとすることはできない。

すなわち、これは、被告人がAの預金通帳と印鑑とを不正に取得し、これを利用して金銭と取得していたという犯行においては、犯行により取得し、そして利用した証拠物を隠匿所持していたということで、犯行と犯人との結合に有益な事情である。しかし、これより進んで、右通帳等を強取するために殺人に及んだか否かに関しては、何ら決め手となる事情を含まない。被告人は、前記のとおり、Aの通帳と印鑑とを利用し、銀行から預金を引き出したことを自白しているのであって、右秘密の暴露は右自白の補強証拠とはなるが、強盗殺人についてはさほどの意味をもたない。

それ故、Aの預金通帳、印鑑の隠匿状況につき被告人が誘導によらず供述し、他の証拠関係によってその真実性が担保されているとしても、それをもって本件強盗殺人の自白の真実性を保障するものとはいい難い。

4  以上からすれば、検察官の主張する右記三点の事由は、個々においてはもとより、これらを併せてみても、直ちに被告人の本件自白の真実性を保障するには至らないといわざるを得ない。

四 Aの靴に付着していた塗膜片について

1  検察官は、検七六・七八・八二号の各鑑定結果書を踏まえ、Aが左足に履いていた黒革靴の左側面に付着していた塗料と四万十川丸の船底部塗膜片が同種の物であることが判明したとして、Aが第一桟橋に停泊していた四万十川丸に乗り移ろうとしていたところを海中に突き落とされ、救助を求めて手足をばたつかせたとき、左足の靴が四万十川丸の船底に当たったため右革靴左側面に船底塗料が付着したものと推察されると主張する。

2  確かに、検七六号(菅都久作成の鑑定結果書)では、Aが死亡時に履いていた靴に付着していた塗膜片と資料である四万十川丸の船底部の塗膜片とが同種であるとされている。

そして、前記鑑定をした菅都久(以下「菅」という。)は、右各塗膜片が三層になっていた関係で、各層の成分を調べ(ただし、表層は金属製のものであるが、二層、三層の成分は混ざっていて明確でない)、塗り方の違いによる層の組み合わせで識別し、同じような厚さと間隔で塗ってあるから同種とした一方、検七八号の鑑定結果書では、その資料とされた四万十川丸、石手川丸、太田川丸の各船底部の塗膜片は、いずれも塗り重ねられたもので、層の組み合わせが違う、四万十川丸のものには薄い層があるが、石手川丸、太田川丸のそれには薄い層がなかったとして、異種であるとしている(同号証、菅の第一一回公判供述)。

ところで、Yの警察官調書(検七九号)、同人の第一六回公判供述によると、四万十川丸、石手川丸、太田川丸は同じ造船所で建造されたもので、いずれも造船所で年一回の中間検査を受けているが、船底部の塗装については、はげた部分にのみ錆止めの塗料を塗ったうえ、全体に貝類等の付着を防ぐ塗料を塗ること、したがって、中間検査を一度受けた後は同じ船の船底部でも箇所によって塗装の層の厚さ、組み合わせが異なり得るが、右三隻の船はいずれも二回以上の検査を受けていること、右三隻の船では、メーカーは違っても、同じ材質の塗料を使い、同じ工程で作業することが認められる。そして、前記鑑定をした菅自身、一隻の船においてすら塗り方の違う部分があり、本件の鑑定資料(四万十川丸船底部塗膜片及び船底塗料、石手川丸船底塗膜片、太田川丸船底塗膜片)の各採取方法及び採取場所を知らないと供述している(第一一回公判供述)。

以上の点に鑑みると、Aの靴に付着していた本塗膜片は四万十川丸のもので、四万十川丸以外のものではあり得ないというのではなく、他の船のものである可能性もあることは否定できない。

したがって、本塗膜片に関する前記鑑定結果は、他の証拠により被告人を本件の犯人とする認定する際の妨げとならない事実である以上の価値はなく、いわんや検察官の主張する「推察」をすることはできない。

これは、犯行場所とされる第一桟橋から死体の発見された一万トンバースまでへの漂流可能性についても同様のことがいえる。右漂流可能性は、Z(第一三回)、A’(第一四回)の各公判供述、検九七ないし一〇〇号及び一八七ないし一九〇号(検証調書、実況見分調書)などからこれを肯定することができる。しかし、右は犯行場所が第一桟橋であっても矛盾しないということを示すにすぎない。

五 被告人の本件に関連する言動について

1(一)  検察官は、平成五年一二月二〇日に行われた被告人によるAの預金取得行為につき、「飲酒後、時間を経ずして死亡していること」を前提として、被害者の消息が途絶えた直後に、かかる行動を被告人がとるということは、とりも直さず、被告人においては、預金引き出しには被害者がもはやこの世に存在しないことを知っていた、つまり、預金引き出し行為をした被告人において、被害者を殺害していなければ決してできない行動である」と主張する。

(二)  確かに、同居人が一晩帰宅しなかっただけで、翌日その所持品から通帳、印鑑を持ち出し、預金を引き出すというのは、同居人がいつ帰って来るか分からないことからして、無謀大胆ともいえる行為である。ところで、Q(検四八号)、B’(検五一号)及びC’子(検五二号)の各警察官調書さらには被告人の収支状況に関する捜査状況報告書(検七四号)に鑑みると、被告人には、後で露見するとか、後の生活に困るのではないかといったこと等を考えることなく、場当たり的な行動をとる傾向が顕著であり、この傾向からすると、Aに露見すること等、後のことをあまり考えず同人がいないのをいいことにその預金を引き出して取得したとしても、さほど不自然とはいえない。そうすると、被告人が、Aが帰って来ないうちに、一ときも早く預金を引き出し、右通帳、印鑑を隠匿して、そのままAの目をごまかそうと考えたとしても、被告人の性向としてそれはあり得ないことではない。したがって、被告人の右預金引き出しを目して、殺害犯人でなければ決してできない行動とまではいえない。

2  検察官は、被告人がK子に対し、平成五年一二月一九日午後八時五六分から五七分間、同日午後一〇時四分から五二分間、同日午後一〇時五八分から二一分間、それぞれ電話を掛け、さらに本件犯行日とされる二〇日午前九時三六分から一二分間、同日午前九時五七分から五三分間、同日午前一〇時五三分から五〇分間、同日午後一時四分から五分間電話を掛けていることを指摘して、「短時間に異常といえるほど執拗に電話を掛けており」「このように一日に何回も電話を掛けたことはないのであって」「本件後、不安に駆られて、被告人が母のように慕っていた前記K子に対し、多数回にわたり電話をするという異常行動をとったものと推察される」と主張する。

確かに検一六八号の電話料金領収証によると、被告人はK子の当公判廷における供述で認められる同人の電話番号宛に検察官指摘の態様で架電していることが認められる。しかるに、同じく右領収証によると、同月一日、六日、一一日、一二日、一三日にも同様に多数回にわたってK子宛に架電しているのであり、同月一九日及び二〇日以外に「このように一日に何回も電話を掛けたことはない」とはいえないから、検察官の主張はその前提を欠く。

3(一)  Eは、Aの死体が発見された平成六年一月四日午後、Eが被告人方に行った際、被告人が「平成五年一二月二〇日午前八時半ころにAと一緒に被告人方を出た」と言っていたと供述している(第二回公判供述)。

また、D’は、平成五年一二月末に被告人及びE’と一緒に酒を飲んだ際、被告人がAが同月二三日ないし二四日に被告人と一緒に被告人宅を出た後戻ってこないと言っていたと供述しており(第七回公判供述)、E’は、右飲酒時において、被告人は、Aが同人の休みの一番最後の日に誰かから掛かってきた電話の後に被告人宅を出て行ったきり帰ってこないと言っていたと供述している(第八回公判供述)。

検察官は、これらの供述につき、「被告人は、被害者が行方不明となった後に、故意に被害者が生存しているかのごとき言動をしており」「これは、とりも直さず、被告人が、被害者殺害に全く関与していないことを殊更装うためにした言動としか考えられない」と主張する。

(二)  Eの供述は、被告人の公判供述等に照らすと、被告人が平成五年一二月一九日朝の出来事を同月二〇日朝のように作為か偶々か、誤って表現した可能性もなくはない。また、このように、被告人が殊更に、前記三名に対し、二〇日朝以降もAが生存していたことを示すかの如き言動をしたとしても、被告人は同月二〇日以降は既にAの預金を取得していたのであって、これが発覚するのを防ぐためにしたとみる余地も多分にあるから、検察官主張のように評価するのは飛躍がある。

なお、第二、一4(四)で認定した、Aの元妻が被告人方の留守番電話に、Aに連絡されたい旨の伝言をしたというのに、被告人がこれを聞いてAの安否を気遣う何らかの行動に出たとは本件記録中から全く認められず、これは同居人としては不審な振る舞いといえよう。しかし、これも、Aの預金を引き出したという被告人の後ろめたい気持ちがそうさせたと考える余地もある。

4  検察官は、平成六年一月一九日に実施した検証の際に、被告人が自ら申し出て献花等を行うことでAの供養をしており(検一〇一号捜査状況報告書)、その際の心境を、検察官調書(検一四四号)において「私は心の中でAさん殺してどうもすいませんでした。成仏して下さいとあやまりながら冥福を祈りました」と供述していることを指摘する。

しかるに、右献花等は司法警察員らが実施した検証の際に行われたものであり、単に本件自白の延長線上にあるというに止まらず、右検察官調書及び検一二九号の警察官調書と一体となっているものとして、本件自白の一部と評価されるべきであるから、右献花等をもって本件自白の信用性ないし真実性が保障されるとすることはできない。

六 被告人の弁解等について

1(一)  被告人は、本件犯行を否認するとともに、第三二回公判において、Aの預金を取得した行為について、Aが帰ってきたら自分からいうつもりだった、その際被告人に対するAの借金を返済してもらったと言えばAが納得してくれると考えていた旨を供述するが、他方で同時に、当時Aにかなり借金があると思っていた等、通常であれば右弁解が到底通らないであろう状況を認識していた旨をも供述しており、不可解であることは否定できない。

(二)  また、被告人は、第二、一4(二)で認定した、平成五年一二月二〇日午前五時過ぎころ被告人が第一桟橋に姿を見せたことにつき、その用向きを、第三一、三二回公判廷において、配船表を配りに行った旨供述している。しかし、検察官も指摘するように、これは、配船表が配られたのは同月二三日であるとする下瀬紀代子(検四九・五〇号)及び宮内広治(検五六号)の各警察官調書における供述と相反し、不合理と認められる。

(三)  右(一)、(二)以外にも第三、二2でみた弁一六号の日記帳に関する供述等、被告人の公判廷における弁解には不合理なものが多く、否認供述にしても、前後矛盾することがしばしばある。

2  また、前記Q(検四八号)、B’(検五一号)及びC’子(検五二号)の各警察官調書や被告人の公判供述に鑑みると、被告人は、とかく場当たり的な供述を前後の脈絡すら考慮することなくする傾向が顕著である。

この事情を併せ考えると、右不合理な各弁解も、本件否認の虚偽性の一徴憑とみるより、むしろ被告人自身の性格傾向の現れとみるのが自然である。

付言すれば、一及二でみたように、そもそも被告人の捜査段階における自白はそれ自体で信用性ないし真実性に疑問があるから、公判廷における弁解の不合理性を強調しても、右自白の信用性ないし真実性が増すことにはならない。

七 結論

以上述べてきたところを総合すると、被告人の本件自白は相当期間に亘って否認と並存するという特異な形態でなされたものであるのみならず、供述内容に看過することのできない不可解な変転があり、供述内容と客観的状況との間に矛盾が少なからず認められる等、不自然、不合理な点が多々存在する一方、供述のうちに本件強盗殺人の真犯人のみが知り得る事実であって、かつ客観的証拠によって裏付けられたものの存在は何一つないといっても過言ではない。したがって被告人の本件自白にはその信用性ないし真実性に対する重大な疑問があるといわざるを得ず、直ちにこれを有罪の証拠とすることはできない。

第五  以上のとおりであり、本件強盗殺人において、被告人を疑わしいとする情況は存在するものの、被告人と犯人との同一性につき合理的疑いを超えて証明するに足る証拠は存在しないといわざるを得ない。

そうすると、本件強盗殺人の公訴事実については、犯罪の証明が十分でないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをすることとする(なお、本件普通預金通帳一通及び銀行届出印鑑一個に関する窃盗の成立に関しては、その具体的事実関係について攻撃防御が尽くされておらず、実質的に審理の対象となっていないというべきであるから、認定しないものとする。)。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷岡武教 裁判官 池本寿美子 裁判官 結城剛行)

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